初釣行~東北・岩手へ ― 2011/05/05 09:50
と思っていたら東京から電話がかかってきた。
元気?どう?気仙沼のほうからやらないのって言って来てるけど・・・。被災してるし今年はどうかなって思ってたんだけど・・・本人が相当乗り気で驚いてるんだけど・・・・。
ぜひ、お願いします!!いつもどおりやりたいです!
じゃぁビッグパレットまで迎えに行くからね!道具のほうはなんとかするから心配しないで。
ってことになって、GW前半に恒例の東北釣行に連れて行ってもらえることになったんです!家に帰れなくても体は元気だし、渓流があれば釣りはできるとも思っていたけど、それがいつもGWに行っている岩手のあの場所だなんて、気分は相当アグレッシブになりました。
そして、そんなこんないろいろあって・・・・、
なぜか神奈川から東京経由で東北道を走ることになったんです。これもう3年前と一緒。
岩手のインターを降りて食料品を買出してキャンプ場へ向かいました。岩手の内陸部は桜が開花していたけど、河童の里、遠野へ入ると桜の蕾はそれほど膨らんでいない。今年は雪も多かったし春は遅いんだやっぱり。
峠越えで谷へ下る。山にはまだ雪が残っていて真っ白。おー!皆驚きの声をあげる。寒いキャンプを覚悟しなければならない。
キャンプ場到着そして即テント設営にとりかかる。早く暖を取りたいから。
ロッジ型タープと個別テント(ほぼいびき対策)を設営し終えて、乾杯!釣行キャンプがスタートしました。今回の仲間のうち2人が3月の大震災の被災者。生きて会えたことを皆と喜び合いました。
目が覚めたらもう午後4時を回っていて、日が暮れる前に行っておかないと、そのために着たんだから。これから渓流に入るんだぞ!どきどきどきどきと鼓動も早くなって、釣りができる喜びを特別なことのように意識。無理もない。
渓流に向かう途中でかたくりの花を見つけ、やっと落ち着けたような気がしました。
そして渓流の流れに立つ。この静けさ、水の冷たさいつもどおりだ。まだ芽吹いていない小枝にフライを引っ掛けないように注意しないと・・・・。
そしていつものように・・・・
わくわく感と期待感を背負って回りの静けさに溶け込むように釣りが始まりました。
ヤマメやイワナがときどきフライに興味を示してくれて久々にご挨拶することができました。水辺にふきのとうが咲いていて、本当の春はもうすぐだよ!って言ってくれてます。
力強いイワナの引きでした。落ち込みの泡と岩の際から出てくれました。
雪代が出て水が増水しています。爽快なほどの冷たく激しい流れです。
鏡のような場所からイワナがフライをパクッと咥えてくれました。
大震災から続いていた淀んだ時の流れに一区切り付けることができました。
ありがとうございました、東北、岩手の渓流や渓魚そして暖かい方々。
いろんな人たちに支えられて今年も大好きな釣りに浸ることができました。感謝!
また必ず来ます。
原発避難⑩~生きること ― 2011/05/05 20:44
最初の隣村の避難所(4日間)では原発避難という現実の受容と順応に精一杯で、風呂に浸かるなんて発想すら生まれなかった。ただ歯を磨きたかった。しかし歯ブラシすら入手困難だった。村の唯一のコンビにや雑貨日用品店からは商品がすぐ消えていた。中学生たちから高齢の避難者に歯ブラシの差し入れがあったときは本当にありがたいと思った。
ようやく郡山に移動して来てから、髭を剃り臭い始めた髪の毛や体をシャンプーや石鹸で洗い流すことができた。これで人に戻れた気分になれた。とても混んでいてのんびりできなかったけど。汗や体臭の染みた下着も100均で購入したものに着替え、すっきりした。
温泉は、避難所のお隣さんのご好意で残り少ないガソリンを使って車に相乗りさせてもらって実現したもの、入浴料も半額程度になっていてありがたかった。

避難者にとても重要な食事。
避難所の食事も最初はおにぎりと水が基本だったが、数日して弁当風のご飯が支給されるようになった。しかし汁物は支給されない。味噌汁など汁物に飢えていたので皆自分で近くのスーパーなどでカップ麺や味噌汁などのインスタント食品を購入してホッと一息つける食事に仕立てていた。水はサバイバルに必要だが心を強くして生きて行くためには体に染み渡る食べ物が必要なのだ。
手作りの梅干や漬物を隣村から来ているおばあちゃんにお裾分けして頂いた。食事がかなり豊かになったと感じられた瞬間だった(普通なんだけど)。

食事は朝昼晩と一日3回(最初の避難所では2回)だが、食事の確保が大変。並ぶことを躊躇するほどの長蛇の列と混乱。高齢者や障害のある方は大変だ。食わなきゃ生きて行けない。配布予定時間の1時間前から列ができ始める。避難所はまるで元気でなければ入所する資格がないと思わせるほどハードルの高い生活環境だ。

いろんな支援物資はとてもありがたい。この避難所へも全国からの善意の物資が届けられていた。

隣県の栃木や群馬から炊き出し支援チームが避難所を訪れて来て、豚汁やラーメンなどを振舞ってくれた。汁物は涙が出るほど嬉しい。長い時間並んでも食べたくなる。避難者の多くの時間が食事の確保に費やされた。

新鮮な野菜で作られた豚汁。寒い中炊き出ししてくれた。本当にご苦労様!

避難者は新聞やテレビニュースで原発事故の情報を入手したり、親類・知人の安否情報を交換し合う。外に出て体を動かしたり、散歩をしたり、買い物にも行ったりするが身体弱者はおいそれと館外に出れない。上下の階への階段の上がり降りだけでも一苦労。必然的に館内に籠りがちになる。

避難所のタイルの通路にはダンボールの壁が整然と作られ始め、難民用の通路が新たにできる。少しずつ難民キャンプが住民街へと秩序化して行く。

一人の寝床は畳半畳ほど。支援の毛布や衣類、ペットボトルの水、洗面用具、本など少しずつ荷物が増え、所帯じみて来る。

なんとなく避難生活が軌道に乗り始めた矢先・・・・・
食事内容に異変が起きた。
弁当風のご飯が忽然と消えた。
避難生活の基本、おにぎりと水に戻った。それが毎日毎食続けられる。
良いもの食い過ぎたから絞めたんだろうなんてことが口に上る。
どうも弁当炊き出しの契約が切れたらしい。次なる手を打たないのが福島県らしい。どうせ支援物資が沢山来てるんだろう・・・・そんな声が聞こえそうだ。
巡回してきた看護師の方に
こんな食事では栄養状態がとても気になるんですけど、県にアドバイスしてもらえませんかとお願いしたら、
私たちもおんなじもの食べているのよ。と一蹴された。
あるとき隣村の村長さんが館内を回って来たときに堪らず、食事どうにかなりませんか。お年寄り、子供たちが可愛そうです。県をもっとプッシュしてください。お願いします。と訴えた。
何回も言ってるんですけどねぇ・・・。と頼りない、期待できない返答。
わが町の町長が初めて顔見せに来たときに一時帰宅希望や食事の改善について訴えた。
困惑した顔で、今は我慢しましょうと言うだけだった。
明日、菅総理に会いますからと言っていたが、何を言ってくれるんだか。住民の声を聞いていないくせに。
行政にはまったく期待できない。動きが悪い。行政は今いったい何に腐心しているんだろう。被災者支援が最優先事項ではないんだろうか。
回りの人たちも冷めているのか、諦めているのか、怖がっているのか・・・・表立った行動がない。
大きな改善、良いニュースは期待できそうもなかった。
民主党の岡田さんが避難所を訪れたときに、あるおじいいさんが、頑張りましょう!って言われてもこんな食事でどう頑張れば良いんですか?って聞いて。
野菜食べてないんですか?本当ですか?
そんなもん一度も見だごどねー!って答えたら・・・・
次の日にきゅうり1本出てきた。そんな日もあった。
避難民は自分で副食品を買ってきたりして凌いでいるが、風邪が流行ったりして館内の診療所で薬をもらってもすこぶる治りが悪い。患者が増えるばかりだ。救急車が毎日ビッグパレットを数回訪れる。
ノープライバシー、騒音、ストレス、不眠、不安、虚無、諦念、喪失感・・・・唯一の楽しみ、希望の食事が苦しみと失望に変わった。















最近のコメント