原発避難147~彼岸の一時帰宅 20142014/03/22 22:40

一時帰宅残響・・・・・

昨日のお彼岸の日に家族と去年の12月以来の一時帰宅をして墓参りをしてきた。
この日の滞在時間はわずか50分ほど。常磐道の三郷付近の事故渋滞で自宅到着が大分遅れて午後2時近くになってしまった。放射線被爆を警戒して午後3時までに旧警戒区域の20キロ圏内から出なければならないこととされている。自宅宿泊はもちろん禁止。
出発直後から線量計で放射線量(マイクロシーベルト/時)を時折測った(道路では車内計測)。

繁栄を極め電気を食い続ける東京。福島と新潟の原発から電気が供給されていた。
この期に及んでまだ原子力で作られる電気を寄こせという。そしてこの混乱の最中莫大な金と貴重な労働力を費やす東京オリンピックの招致。狂っている。


今避難生活をしている神奈川東部の線量は0.07とか0.09、北関東も同じ。福島県いわき市で0.10、旧警戒区域の避難指示解除準備区域にある我が家周辺で1.00~3.00くらいの放射線量だった。

福島の青い空



自庭のクリスマスローズ

地震で倒れた灯篭

梅は満開だった。 父に買ってあげた枝垂れ梅。主のいない庭。

梅の木の下に眠る愛猫らくらくにただいまの挨拶。

3年前のあの時も梅が咲いていた。らくらくを弔っていて狂ったような揺れ、梅の木にしがみ付いた。

大好きな藪椿。

裏山、小鳥の声を聞いていた。


荒れていたのを苦労して苦労して竹藪を刈って散歩ができるようにしたのに・・・。



林の中は思ったほど線量は高くなかった。

我が家の線量は何時来ても変らない。今年度とか来年度とかにようやく除染が始まる予定だから。除染をして0.10くらいに下がるの理想だと思うけど・・・どうなるんだろ。
住居と住居から20メートルの範囲を国が東電に代わって除染することとされている。その周辺の田んぼや畑、林、山、湖沼、川、海浜はどうするのか。周辺の町村で避難指示解除が徐々に始まっているが、はたしてどんな環境が安全なのか誰もはっきりわからないと思う。住まないことが一番安全なのは確かってか(笑・・) 移住先をきちんと提供して生活を補償してから言ってほしい。

墓参。奥に見えるのは福島第二原発。目と鼻の先だ。東電が再稼動を虎視眈々と狙っている。あんなことをしでかしてなお狂っている。油断がならない。


この日の天候は晴れから雨、あられ、晴れとめまぐるしく変わった

墓参に訪れる避難住民の方が多く見受けられた。


そして事故を起こした福1原発に近づくにつれて高線量になって居住制限区域や帰宅困難区域になっている。我々住民はどういう運命を辿るのか・・・。それぞれの住民が家族が迫られる決断。既に帰宅をあきらめて福島県内や他県に移住している人が多い。

帰りたいけど帰れない。若者は放射線被爆を避けて戻れない。帰宅可能な家族でも帰るのは故郷に骨を埋めたい年寄りばかりだ。家は朽ちて町は荒れるだろう。町は3年前にあの突然の避難指示を受けた時点で死の町になった。



核のゴミ捨て場と事故収束作業での過酷事故の再発の恐れ・・。あれからもう3年、復興は進まず状況悪化するばかり。事故の恐ろしさと今なお非常事態だということが国民の記憶からもなくなりつつある。この先何十年とこんなことと向き合うことになるのか。未来予測図はかなり悲観的だ。


総理、東電、自民党の皆様、目の前にある原発の再稼動なんて絶対やめて欲しい。福島復興を美化して嘘をついて招致した東京オリンピックなどばかりに現を抜かさず、こちらの復興復旧を急いで欲しい。今生きている人間に残された時間は限られているのだから。
我々も故郷に誇りを持ち文化や夢や希望があった同じ日本人です。


自分の部屋の椅子に腰を下ろしたのは10秒。何も持ち出せなかった。

周囲の田んぼは荒れ放題。



まだ牛が訪れているようだ。



三春の滝桜の子孫と手前の白樺の若木、6年前に退職記念に植樹した。



主を待つイワナくん、現れてくれた。

3時を回るまでに隣町に入った。

隣町は除染作業が進行中で剥がされた土は袋に入れられていたるところ(田んぼ)に集められていた。恐ろしいほどの量。わが町もすぐにこうなるのだ。

ここが20キロ地点だ。広野火力発電所(稼働中)と原発事故収束作業の前線基地のサッカー練習場Jビレッジ(日本代表の合宿所になっていた。)。

ここから高速に上がった。
この日はいわき市に宿を取った。

あわただしい一時帰宅だった。