原発避難153~一時帰宅 2014年10月2014/10/15 14:26

10月上旬に家族と一緒に福島の自宅へ一時帰宅して来ました。

今年は3月の彼岸以来2回目。主な目的は先祖の墓参り。
夏の暑さを避けて秋に行こうと予定していたのです。

朝8時に神奈川の横浜を出発。
東京を抜け渋滞もなく順調に常磐道を走り、

11時過ぎに静かな秋の自宅へ到着しました。
自宅の周囲の田んぼでは除染作業が行われていて雑草が綺麗に取り除かれていました。



家の中では大工さんが来て震災や原発避難で荒れた家の回収作業が行われていました。
nhkの朝ドラの昼の時間帯に普通にテレビに映っていて、非常事態の最中でないようなのどかさ・・かえって不思議な世界がありました。

大工さん達が回収作業のために台所の器を綺麗に片付けていました。

震災のときのまま乱雑に物が置かれた納屋には私が作っていた梅酒が残されていました。捨てるしかないのかな・・・。

自分の部屋のカーテンを開けて空気の入れ替えをしました。
何度帰ってもものを片付ける時間はありません。あの時のままです。

愛猫や家族が歩いていた廊下に空気が久々に通り渡ります。

柳生さんの八ヶ岳倶楽部で買ったカワセミの木彫りと渋谷で買ったヤマメの置物。地震で壊れないように椅子の上に置いてあります。

はじめてベッドに横になった。1分間。
こんな部屋の景色を震災前は毎日眺め暮らしていた部屋なのにそうじゃない感覚。
そこに自分の抜け殻があるような妙な感覚に襲われる。

部屋から見える景色。
親戚の方が庭木の選定をしてくれてすっきりしています。

柿木と荒れた田んぼの景色。
秋のススキやセイダカアワダチソウが柳などが蔓延っています。

震災当日に倒れた石灯籠も草の中。

庭の梅の木の下に

311に帰らぬ姿で見つかった愛猫らくらくの墓があります。

高めだったこの付近の線量も半減してました。

庭には秋の花が咲いていました。シュウメイギク


雑草に負けまいと顔を出したコスモス。

先祖代々大事にされて来た甘柿の木。残念だけど食べられない。

退職記念に父が植えてくれたナナカマド。
葉が色づいていました。

畑を占領するセイダカアワダチソウ。

田んぼの土手には彼岸花が控えめに咲いていました。

家族揃って先祖の墓にお参りしました。
倒れていた墓石も3年半経ってほとんど元に直っていました。

墓地に続く山も20メートルの範囲で綺麗に除染されていました。

その先は除染されていませんが木や草や竹はあまり生えてなく荒れていませんでした。苦労して竹やぶを刈り取りバードウオッチングしてた憩いの場所。

線量は下がったのだろうけど他の場所よりも高いです。
帰還困難区域に比べればかなり低いですが。

お寺の大きないちょうの木から銀杏が沢山落ちてました。

自宅の庭の前の畑。イノシシが住むにはもってこいの環境。
セイタカアワダチソウに変えていつかいっぱい綺麗な花を咲かせたい。

野菜の苗や稲の苗、トマトやキュウリなどを育てていたハウスもボロボロ。

これも退職した年に植えたりんごの木。この下に初代のびのびのお墓がありましたが、
除染?でなくなっていました。

太い木を割って風呂焚き用の薪を汗を流しながら作ったのに全部だめになりました。

原発事故で人の住めない町になたことを知らない人が来たらなんとのどかな里山だと思うに違いない。
秋の空にサルスベリの花が鮮やかでした。


イワナを入れておいた池。落ち葉が池を埋めるほどに堆積。今回はイワナの姿を見つけることはできませんでした。

この辺りの線量は一番高かったけどかなり低くなってました。

午後3時には一時帰宅を終了して町を出なければなりません。
避難指示が解除されて宿泊できるようになるのは早くてあと1年半後と決まっています。
実際にGOサインが出るのはすべての安全安心の環境が整ってから。

でも故郷に帰還するのは住民全体(1万6千人)の1割にも満たない
かもしれません。
いろんな事情で帰りたくても帰れないから。
町は名ばかりの姿。

東電の福島第一原発事故の収束作業は始まったばかり、あと何十年も続きます。
事故らないように安全に慎重にやってもらいたい。
我が家の目の前の福島第二原発も再稼動をこの期に及んで虎視眈々と狙っている奴らがいます。安心できません。


今回の滞在時間は賞味4時間でした。
家の中の掃除をしなかったから少し時間に余裕がありました。
でも家の中と外、周辺の確認で終わってしまいました。

避難先において置けなくなった本やCDなどを部屋に運んで来ましたが、
新たに持ち帰ったものはありませんでした。
読みたい本など持って来ても置く場所がないので。

老いて病気を患い体が万全でない両親も
無理をしてでも来て良かったと言っていました。
最後にここに戻って故郷に骨を埋めるのが望み。
私も余生をここでゆっくり過ごしたい・・・です。

次の一時帰宅はいつになるだろうか。