原発避難35 ~一時帰宅(被災)2011/07/01 14:40

愛猫らくらくに挨拶できて少し心が落ち着いた。

次にリストに書いてある順番に従って行動することにする。2時間という限られた時間を大切に使わないと。

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3月11日午後2時46分激震が我々を襲った。家も山も畑も庭も全てが粉みじんに砕け散ってしまうのではないかと思うような凄い揺れ。いつものきしきし、がたがたではない。ゴーーーーという地鳴りとも空気の振動音ともつかない地球の揺れる音。怖い。らくらくの眠る横で這いつくばるのがやっと。荒馬の背中に乗せられているようだ。もうどうなってしまうんだろう。やめてくれ。早く止まってくれ。近くの石灯篭がスローモーションを見るように倒れ、屋根瓦がガラガラガラーと庭先に落ちてきた。

皆大丈夫?
のびのびは?
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そのとき携帯で家の写真を2枚撮ったきりだった。
損害保険申請のために被災状況の写真の提出を求められている。それを優先した。
そしてポリ袋1枚分の持ち出し品を探すこと。

落ちている瓦の量が避難したとき以上に増えている。おそらくその後何回も繰り返された余震で落ちたんだろう。沢山砕け散っている。地震のときこの下にいたら命が危ない。
二階の瓦が一階の屋根に落ちて屋根を破壊している。


二階に上がって見てみた。かなり壊れている。
残念ながら立ち入りを禁止されているため修理も頼めない。どの家もこんな状態だろう。

恐れていたことが起こっていた。雨漏り。裏手の床の間の天井から雨が漏れている。畳が湿って腐り始めている。
町は雨漏り対策のために壊れた屋根にシートを掛けると発表しているが、まだやってもらえていない。梅雨の真っ最中だというのに。なぜもっと早く手を打てないのだろう。住民の声が上がってやっと重い腰を上げた。それも5月だ。でももう7月だ。

破壊された一階の屋根から廊下にも雨が落ちていた。
家に帰っても家が住めなくなっては元も子もない。
落ちた家財道具は片付けられない。

冷蔵庫と冷凍庫の中身を外に捨てようかとも思ったが・・・・諦めた。時間がない。あと1時間だ。相当な労力を使いそうだし。小さい虫が少し飛んでいて、腐った匂いが漂っていた。閉めてきた。

想い出の、お気に入りの品を持って来ようと思ったがほとんど諦めた。

故郷に戻ってからの片付けも大変だ。

再び外へ出た。まだ天気は大丈夫だ。
我が家同様に多くの家が屋根のぐしと呼ばれる尾根の部分の瓦が落ちた。

家の四方に瓦が落ちて散らばっていた。
見ているだけで片付けもできない。

ビニールハウスも覗いてみたが凄い高温になっていた。春を待って外に出そうと思っていた柑橘系の植木鉢や盆栽が枯れていた。残念。

地震があったあの日ビニールハウスに避難していて一夜を過ごそうと思っていたら、屋内退避指示があった。なんで?せっかく安全なところに避難しているのに。ここから始まっていた。原発の事故だ。ここから全てが狂わされた。

ハーブが風に揺らぎ、ひまわりがこぼれ種で一輪咲いていた。主人のいない庭、畑、田んぼ・・静かだ。自分の呼吸だけが聞こえる。

こちらはキッチンガーデン。去年種から育てたアーティチョークが立派に育っていた。見事すぎる。じゃがいも、ねぎ、たまねぎ、もう収穫の時期なのに何もできない。

ここでゆっくりしていることもできない。簡単に腰も下ろせない。
あ・・・・ぁ・・・自分の家なのに。

原発避難36 ~一時帰宅(生きる命&再び避難場所へ)2011/07/01 21:26

許された2時間の最後にとても気になっていたことをすることにした。
それは観葉植物を救助すること。

3月12日に避難して以来だからもう4ヶ月近く水をあげていない。もうだめだろうな。枯れているだろうなと思っていた。5月とかもっと早い時期に帰宅できていたら大丈夫だったろうけど・・・・・。

部屋を覗いてみたらなんと緑色が見えた。カーテンを少し開けておいて良かったぁ!
モンステラやオーガスタ、シダ、ストレリチアレギネ(極楽鳥花)、プルメリアが緑を保っていてなんとか生きているようだ。なんという生命力だ。
しかし綺麗な花を咲かせるハイビスカスやブーゲンビリアは枯れきっていた。残念。

他に玄関の中に入れておいた君子蘭もなんとか持ちこたえていた。強いなあ。間に合ってよかった。たぶんぎりぎりだった。すぐ暑い夏が来るから。

部屋から生存者を裏庭の湿り気のある場所に運んだ。これで雨が降れば元気を取り戻してくれるかもしれない。放射線は浴びてしまうだろうけど。

そして最後の最後に愛猫らくらくとよく眺めたイワナの棲む池を見てみた。イワナがいるかどうかじっと見ていると・・・・静かに静かにイワナが出てきた。一匹だけしか確認できないが、凄い生きてる。きっと自然の餌を食べているんだろう。人の声が懐かしくて出てきたのかな。もっと生きているかもしれないがもうタイムアップだ。時計が3時を回っていた。

今回の一時帰宅でがっかりしたこともあったけど、ほっとしたものも沢山あった。来て良かった。そしてらくらくを我々とのびのびと一緒の旅に連れてくることにした。

所定の時間にマイクロバスが迎えに来た。汚れたビニールの靴カバーを回収され、新しいのに履き替えられた。バスは同じコースを広野に向かった。一時帰宅を終えてお隣さんたちの心も軽くなったようで皆笑顔が戻っていた。

広野の中継地点の体育館に戻ると放射線チェック(スクリーニング)が行われた。
ひとりずつ体の頭の先からつま先まで、表と背中をふたりがかりで線量計を当ててチェックしている。大丈夫です!
次に持ち帰り品のチェックが行われた。
食品は持ち帰れませんので没収させていただいていいですか?あぁ・・・どうぞ・・。
母に頼まれたお茶や佃煮、海苔だった。全て新品だ。ちょっとがっかりするだろうな。昭和ひとけたの人だから。なんでーもったいねーって。
自分が持ち出したものは健康診断結果要精密検査付きとダウンのインナー上下、湿布、短パン、itunesのリカバリーディスク、それとちょっとした書類。たいしたものねーなー。

スクリーニングは全て終了した。除染の必要はなかった。
紙が一枚手渡された。あなたが受けた放射線量は4マイクロシーベルトですって書いてある。問題なし。・・・原子力災害現地対策本部


汗が滲みた服を着替えた。満足な更衣室、シャワーなど用意されていなかった。もう7月、これからもっともっと暑くなるのにきちんとした心遣いをして欲しい。すべきだ。国が主体でやっている一時帰宅だとは思うが、やっかいものを扱うような感じは拭い切れなかった。なんでこんなことをしなきゃならんのか。希望を与える姿勢は感じ取れなかった。現場で担当している人は一生懸命やっているとは思うけど。

もと来た道をいわき駅までバスが送ってくれた。同じように特急で東京へ戻った。
帰りは人の歌声が聴ける気分になっていた。ハワイのティア カレルを聴いた。ビールも飲んだ。神奈川の個別離散の避難場所に戻ったのは22時近くだった。

自分の気持ちの中でらくらくが我々と一緒にいてくれるそういう整理ができた旅。こうしてあっという間の一時帰宅は終わった。

本当に家に帰れるのは何時だろう。

はまのび散歩道3 ~ 梅雨明けはいつ?2011/07/05 13:06

雨降りの間の一切れの青空・・・・というのが梅雨の常套句なのですが、今年はたまの雨降りと言ったほうが似合います。
連日30度を上回る暑い日が続いています。
何日か連続して雨が降って外に出れない日もあったのですが、土手ぶらやご近所さん界隈の散歩は良くできています。
6月の終わりから7月の頭にかけて撮影した景色たちです。
梅雨の中休みの夏。
もう梅雨明けしてたりして・・・。







土手の草の刈り込みが行われました。鳩が餌を探していました。


3丁目公園。木陰に座ってくれる人を待っています。



夏椿。故郷の庭にもあったなぁ。一日で散ってしまう綺麗な花。



日陰を探して歩くようになります。


マンションのゴミ置き場が綺麗に飾られてました。

ゴミ置き場のイメージがまったく変わります。寄って行きたくなります。


梅雨明け状態の青空なんだけど。

ご近所に故郷で亡くなった愛猫らくらくに似た猫がいました。

そのお友達。

愛猫のびのびは部屋でお留守番なのです。

季節は巡り花々も巡ります。

車のほとんど通らない小道がいくつかあります。

これは園芸家さん。

土手の夕涼みも気持ちがいいです。

夏は暑いから強い日差しを避け、冷たい麦茶の入った水筒を持っていきます。
無理をしないほうがいいですね。