2012年ことはじめ ― 2012/01/03 10:49
もう一度。
福島に離散していた家族や神奈川在住の家族が寄り添い年を越しました。こうして居られることに感謝し乾杯、湯煙の上がる鍋を囲み紅白を見て蕎麦を食べておせち料理を食べ箱根駅伝を見ました。場所や環境は違えどいろいろな支援を受けていつものように時を過ごすことができたことはとても幸せです。
今回は年賀状は出しませんでした。賀状を出して未来を展望したり気合を入たりするほど心が前向きになっていません。置かれている現状を謙虚に受け止め、この先起こることに備えて心を引き締める段階かなと・・・。
状況を察した上で励ましの賀状を送ってくれた方もいました。メールアドレスがわかった方には返事をしました。いつかお礼の葉書を出そうと思っています。
初夢は学校で子供たちに何かを伝えようとしていたこと。何を伝えたかったのかな。さあこれから始めるよっていうときに目が覚めました。「この世界には素晴らしいことがあるよ。いろんな出会い。まだ知らない自然、人、音楽や・・・もちろん目の前の小さな花をずっと見守って行くこととか・・。希望を胸に羽ばたいて行って!」ってことかな。
昨日は2日越しで初詣に行ってきました。年明けの日に行ったのですが参道が長蛇の列で即断念。参道まで徒歩2分とあまりにも近すぎて撤退。参拝者が少なくなった2日にゆっくりお願いしました。「安全に帰還できますように。避難している方が少しでも心安らかに生活できますように。」
その足で土手ブラに行きました。少し走ってみました。息は爽やか、心臓も痛みなく血液を全身に循環させていました。やや日没が遅くなったのか雄々しい青富士を拝むことができました。
ウクレレも弾きました。最初の曲はハワイ・アロハ。寒い冬に心を温めてくれます。
かたつむりの歩みのようにゆっくりゆっくり少しずつ少しずつ馴染めてくる楽器を習うっていいですね。ウクレレを練習する時間はとても楽しく大事な時間です。脱サラしてウクレレを持って良かったです。弦をポロロロン弾くだけで心地よく眠たくなります♪ 抜群の眠り薬。
越年しても青い蕾を持っている希望の光朝顔は夏から輝き続け今はじっと寒さに耐え、お日様の陽を浴びていつかまた咲こうとしています。それを応援するかのようにビオラの小さな花が元気良く咲いています。
今日で避難298日。現在の原発、警戒区域の状況ではしばらくこの街でお世話になることになりそうです。ふるさと福島浜通りから愛猫のびのびと一緒に愛猫らくらくの思いを携えた長い旅の途中です。
今年もよろしくお願いいたします。
青い森の白い道 ― 2012/01/24 18:36
どこにいても避難していても過ぎていく時間は一緒だと思ったからです。
おじさんに残された機会、時間はそう多くは無い。
場所はいつもの津軽のスキー場です。羽田から飛びました。
困ったのがスキーの道具。福島の警戒区域内の我が家に置いてあるので、今シーズンはレンタルにしようと考えていました。が、新調しました。道具を買い換える機会はあと何回あるのかと・・・。板、ストック、ブーツ、グローブ、ゴーグル・・・おやじの悪あがきへの先行投資です。
今シーズンの初滑りは快調では無かったです。ナイターで転倒し右手親指をストックの上に自分の身体で強く押し付ける形になりました。激痛!普段曲がらない方向に親指が曲がりました。ストックを強く握ることはできません。慣れない道具でがんがん練習したせいでしょう。帰宅後整形外科で診てもらったら骨にひびは入っていませんでした。打撲傷、指の捻挫です。しばらく安静に、ウクレレはまともに弾けませんね。
今年も滑り出し不調!?
青い森の白い道。マイゲレンデのようになるときも。白い道の先に日本海が望めます。
ナイターが充実。ゆっくりでかけても十分楽しめます。なんかどこかの回し者みたいだな(笑)
たまに転んで痛い思いをすることも・・・。自爆ならまだいいです。
昔のレストランがモスバーガーになっています。
こういう景色は見れそうで見れないもの。
下北半島の向こうに北海道が見えました。いまいちはっきりしませんね。
リフト乗り場の屋根の雪、日本地図に見えませんか。
日曜日はゲレンデが賑やかになってました。ボーダーとスキーヤーどっちが多いかな?
ゲレンデを見ながらゆっくり食べる朝食は幸せそのものです。カシスのジャムが美味しいです。
味噌ラーメンとビール。写っていませんが餃子も。お昼のご飯。おやじの美食のトライアングル。
元気!東北 仙台工場で作られました。
空港行きのバスが来る前に食べた焼きりんごのカレー。旨かったですよ。
最後に。
このホテルでの私の必需品。静電気対策。ドアノブにキーを差し込んだときにピシッっとくるのが怖いんですよ、これが。
そうそう・・・愛猫らくらくが福島の我が家で震災日の後元気に暮らしていているのを猫ちゃんが教えてくれたという夢を見た。愛猫のびのびと我が家に帰還したから、のびのびじゃなく別の猫ちゃんだな。一緒にいてくれた。凄く嬉しくてもっとずっとらくらくを見ていたかったけどそう思った瞬間夢から覚めてしまった。
またお邪魔します。
原発避難67 ~あとふた月 2011年1月 ― 2012/01/26 13:34
らくらくの命、我々の普通の平穏な生活が残された僅かな日々。
愛猫のびのび。3月の原発事故でひとり家に残されることになりました。孤独と恐怖、かなりのストレスを抱えることになろうとは人間も猫もこれぽっちも考えていませんでした。
4月に家族に救出されて警戒区域から神奈川に避難。生活環境が激変し、避難中の家族同様に新たなストレスを背負わされることになりました。こちらの生活にも大分慣れましたがひどい便秘に苦しみ、近くの病院で薬を処方してもらったり、時に便を取り除く処置をしてもらっています。普通の身体に戻ることを願うばかり。
去年の1月ののびのびです。

寒い1月日差しの入る家の中で過ごすことは猫にとって最高でした。
新入りの愛猫らくらくもすっかり勇猛果敢な若者に成長していました。勇気がありすぎて傷の耐えない日々。
晴れて気持ちの良い日には外の様子を見に出ていました。
らくらくは家の中よりも外で遊ぶのが好きでした。のびのびや家族のために警戒をしてくれていたのでしょうか。
ふたりとこれから何年も一緒に過ごしていける、そんな楽しみを胸に抱いていた頃でした。
らくらくはのびのびと仲良く天真爛漫に生きていってくれるものと思っていました。
このまま元気にいてくれたらよかったのに・・・。あんなことがなければよかったのに・・・。
普通の生活・・・
私は身体を温めるために自室で一昨年収穫して仕込んだ梅酒を音楽を聴きながら試飲していました。
ネットで購入した熱帯観葉植物は福島でも育てることができました。この植物たちも主人に置き去りにされて後に命を失うことになろうとは。
ウクレレが好きになりハワイアンカルチャーに興味を持ち始めました。今は家に放置されています。
時々イタ飯を作っていました。
周りに外国のカルチャーを気軽に感じる場所がないためにイタ飯は家族に好評でした。
時折福島の浜通りにも雪が降りました。10cm以上積もる白銀の世界は珍しいのです。
何気ない自然の美が昔からそこにありました。どや顔でやってきた原発も近くにありました。こいつは常に頭の片隅にある心配の種でした。まさか本当になろうとは。
お日様が出れば温かく冬の最中でも春を感じることができました。
2月が近づいて梅の花がちらほら咲き、希望の香りをほのかに漂わせていました。
隣のいわな村からイワナ君を何匹か分けてもらって湧き水の池に入れて育てていました。
春の解禁を待って道具を準備していました。第二の人生のささやかな楽しみごと。
春よ来い♪早く来い! 楽しいことが待ってるよ。
そう思いながら寒さに耐える普通の日々でした。
そしてふた月が過ぎ春が来たのに・・・・。
とんでもないことが起こってしまいました。
恐れていたことが。
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