原発避難67 ~あとふた月 2011年1月 ― 2012/01/26 13:34
らくらくの命、我々の普通の平穏な生活が残された僅かな日々。
愛猫のびのび。3月の原発事故でひとり家に残されることになりました。孤独と恐怖、かなりのストレスを抱えることになろうとは人間も猫もこれぽっちも考えていませんでした。
4月に家族に救出されて警戒区域から神奈川に避難。生活環境が激変し、避難中の家族同様に新たなストレスを背負わされることになりました。こちらの生活にも大分慣れましたがひどい便秘に苦しみ、近くの病院で薬を処方してもらったり、時に便を取り除く処置をしてもらっています。普通の身体に戻ることを願うばかり。
去年の1月ののびのびです。

寒い1月日差しの入る家の中で過ごすことは猫にとって最高でした。
新入りの愛猫らくらくもすっかり勇猛果敢な若者に成長していました。勇気がありすぎて傷の耐えない日々。
晴れて気持ちの良い日には外の様子を見に出ていました。
らくらくは家の中よりも外で遊ぶのが好きでした。のびのびや家族のために警戒をしてくれていたのでしょうか。
ふたりとこれから何年も一緒に過ごしていける、そんな楽しみを胸に抱いていた頃でした。
らくらくはのびのびと仲良く天真爛漫に生きていってくれるものと思っていました。
このまま元気にいてくれたらよかったのに・・・。あんなことがなければよかったのに・・・。
普通の生活・・・
私は身体を温めるために自室で一昨年収穫して仕込んだ梅酒を音楽を聴きながら試飲していました。
ネットで購入した熱帯観葉植物は福島でも育てることができました。この植物たちも主人に置き去りにされて後に命を失うことになろうとは。
ウクレレが好きになりハワイアンカルチャーに興味を持ち始めました。今は家に放置されています。
時々イタ飯を作っていました。
周りに外国のカルチャーを気軽に感じる場所がないためにイタ飯は家族に好評でした。
時折福島の浜通りにも雪が降りました。10cm以上積もる白銀の世界は珍しいのです。
何気ない自然の美が昔からそこにありました。どや顔でやってきた原発も近くにありました。こいつは常に頭の片隅にある心配の種でした。まさか本当になろうとは。
お日様が出れば温かく冬の最中でも春を感じることができました。
2月が近づいて梅の花がちらほら咲き、希望の香りをほのかに漂わせていました。
隣のいわな村からイワナ君を何匹か分けてもらって湧き水の池に入れて育てていました。
春の解禁を待って道具を準備していました。第二の人生のささやかな楽しみごと。
春よ来い♪早く来い! 楽しいことが待ってるよ。
そう思いながら寒さに耐える普通の日々でした。
そしてふた月が過ぎ春が来たのに・・・・。
とんでもないことが起こってしまいました。
恐れていたことが。
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