原発避難165「あきらめないこと」2017/03/22 12:49

あきらめないことは大切です。
のびのびを救いに行くことをあきらめなくて良かった。

311に原発事故が起きて翌朝国から避難指示が出され浜通り中部から県内を西へ西へと逃げて郡山に落ち着いた。苦難の避難所の生活に未来は見えなかった。そして1月が経った。2、3日の念のための避難、皆んなそう思っていたと思う。それが原発が連鎖的に爆発し過酷事故となって楽観的な帰宅は絶望的なものとなって行った。全ての避難住民が一瞬で人生を狂わされ苦渋の決断とシビアな避難生活を余儀なくされた。放射能汚染で逃げて来た町は既に立ち入り禁止となっていた。1番気掛かりだったのは健気な小さい命。猫のびのびは大丈夫だろうか。生きているだろうか。彷徨い歩いて猫らあらに続いて命尽きてしまうのだろうか。もう助けに行くことを決断しなければならないギリギリの日数が来ていると思った。自身体調が崩れる中、従兄弟と一緒に早朝家に向かった。昼に未だ早い時間に家に着いて車を降りると家の裏から小さな鈴の音が近寄って来るのが聞こえた。のびのびが百年も会ってないようなニャ❗️〜〜〜〜〜ン❗️という鳴き声を上げて目の前に現れた。地面に転がって喜んだ。頑張って元気に生きていて家族を待っていてくれた。...のびのびとウクレレを車に乗せて家を後にした。のびのびは不安なのか怖いのか鳴き続けた。隣町に入って暫くして鳴き声がしなくなった。まさかとは思ったが車の窓が半分開いていてのびのびの姿はなかった‥‥。家を出発する時に窓を下ろして話をして閉め忘れていた。自分の不手際だった。その日は郡山の避難所まで戻った。もう諦めろと言われた。諦められるわけがない。夜中に朝探しに行くと決めた。翌朝郡山から再び浜通り中部の町へ戻った。のびのび!のびのび!と呼びながら昨日いなくなった道筋を辿って一軒一軒探し続けた。無人の区域の長閑過ぎる静かな世界で逃げた牛たちが草をのんびり食んでいた。2時間くらい探して残る住宅は後2軒。見つからない。その時2匹のふさふさ毛の白い猫が目の前に現れた。家の中庭に誘うように入って行った。そして小さな鳴き声が納屋の中から聞こえた。のびのびがちょこんと道具の上に座ってこちらを向いていた。いつの間にか白い猫たちの姿は無かった。その日は両親がお世話になっているいわきの親戚のお宅で一泊させて頂いた。翌朝郡山の避難所へ向かいお世話になった方々にさよならをした。東北道を東京に向かった。のびのびはカゴの中で鳴き続けた。長年ペーパー運転者だったので前年に教習所で練習して買い物に運転するくらい。長時間の移動は2度目くらいだった。なんとか順調に首都高に入った。ところが首都高のあるジャンクションの手前で車は動きが悪くなった。どうにか安全そうな路側帯に停めた。車がビュンビュン走り地震のように揺れた。のびのびは疲れたのかもう鳴かなかった。神奈川の親友に携帯で連絡してJAFの電話番号を教えて貰った。1時間程でJAFが来てくれて車のメーカーの池袋の営業所まで牽引して貰った。店は休みだった。JAFのお兄さんに色々教えて貰って車に書き置きをしてレンタカーを借りのびのびと一緒に再び首都高へ上がった。夕方どうにか無事に妹のいる横浜の家に辿り着いた。長い一日になった。その夜新しい環境でものびのびはパニックにならずゴロゴロスヤスヤ眠ってくれたので助かった。愛猫も避難生活が始まった。土手の桜はなごり桜になっていた。あれから間も無く6年。


いわきの親戚のお宅に一泊させて頂いた時。
のびのびはお利口さんで冷静です。

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