原発避難143~原発避難1000日 ― 2013/12/04 13:46
2011年3月12日早朝、前日からの大地震と津波で疲弊している我々に
東電福島第一原発の事故で避難指示が出され、確かな情報を何も与えられないまま自宅を後にしました。数日で帰宅できると思っていたので愛猫を家に残しました。
そしてほんの一時避難で直ぐ帰宅できると思っていたのにとんでもないことになりました。
家族が、隣人が、町民が突然普通の生活を、仕事を、生甲斐を、夢を奪われ、ハイインパクトな避難生活で多くの人が病気に苦しみ命を落としました。
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私は避難してから毎日、今日は避難○○日とケイタイの日記に付けています。
もう明日で原発事故避難1000日になります。
考えもしなかった避難生活を強いられて
着の身着のままで避難した住民は皆、身の安全の確保と生活のゼロからの建て直しが始まりました。原発事故で人生をリセットされ、箸の1本、下着一枚を買うことからの出発を余儀なくされました。
この間、我が家では取り残された愛猫とウクレレを救出したり、救急車で家族2人が病院へ運ばれ、心臓の病気で手術を受け身体障害者になったりしたけれど、兄妹や親戚、友人、多くの方々の支援を受けてなんとか毎日健康維持に努めながら安心安全に毎日を送ることができています。ありがたい限りです。
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震災と人災の事故の後2年9月近く経過して
未だ除染も始まらず帰還の目処が立っていません。復興が何も行われていない。
ばかりでなく放射線量が高く帰還の希望を絶たれたり、健康不安から今では帰還を希望する人も少なくなりました。今住民は希望も無く、故郷を、自宅を捨てるという苦渋の決断を迫られています。
将来故郷は死の町になってしまうでしょう。いや避難して住民が町の外に全員出て行ってから死の町になっていました。そして原発事故は収束せず新たな事故の不安と脅威を常に抱えています。さらに故郷が核のゴミ捨て場になるのではないかという恐怖に迫られています。
そして賠償が誠意を以てなされず、どうしてこんなとんでもない事故が起きてしまったのかの検証がきちんと行われていないことへの憤りと不安・・・。
こんなことを二度と起こしてはなりません。
一日も早く全ての元凶の原発を廃炉にすべきです。
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2011年3月11日東日本大震災
家が地震で倒壊するのではないかと思い外の農業用のビニールハウスの中で家族が身を寄せ合っていた。
夜、町内放送で屋内待機が命ぜられた。
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2011年3月12日
早朝目が覚めるや否や避難指示命令が下され、
福島県浜通りの小学校で原発事故による避難生活が始まった。住民の隣町への大移動。
数日で帰宅できると思ったが、直ぐ状況は一変しました。
小学校のテレビでは原発のとんでもない映像がずっと放映されていました。
どこかの国で起きているかのような錯覚・・その中心にいる自分たちのことなのに。
「20、30年帰れねーかもしんねえな・・」まさかと思ったその言葉・・・
今では本当になりました。自分が悪く予想できることは必ず起きると今思っています。
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2011年3月中旬 原発が爆発し安全の確保から福島県中通りの郡山の避難所へ移動。
放射線のチェック
この避難所では一時2千人近い人々が寝食を共にした。
「花は咲く」という復興支援ソングを聞くとこの景色が浮かびます。
夜空の向こうの朝の気配・・・自宅にいつ帰れるのだろうか・・・残して来た小さな家族はどうなるんだろうか・・皆が焦り始めました。
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2011年4月中旬、避難一月が経過。自宅周辺が警戒区域に指定され立ち入り禁止になりそうだった。タイミング的にもう待てないと決断し自宅へ。
愛猫のびのびを救出
いわきの親戚の家にお世話になり
翌日郡山経由で神奈川へ移動。
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2013年6月上旬の一時帰宅
高線量の地区は立ち入りを許されない帰宅困難区域に指定された。
警戒区域外の町村では除染作業が進められている。
郡山の仮設住宅には親戚が住んでいる。
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2013年8月中旬の一時帰宅
田畑は原野と化した。
可愛がっていたあらゆるものが死んだ。
ねずみの天国になり荒らされている。
原発事故で
普通の生活が映画のようにずたずたになった。
こういうことを、この渦中にいることをまず自分が
忘れてはならない、
あと1000日、2000日と毎日数え続けることになっても。
ただ、
どこにいても何をしていても過ぎていく時間は同じ。
だいじにしないと。
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