原発避難159 「梅雨の一時帰宅 2015年6月」2015/06/30 05:07

2011年3月11日の東日本大震災と人類史上最悪の東電福島第一原発の過酷事故による避難を余儀なくされてから早4年3月が経ちました。皆の人生の大事な時間が4年も経ってしまいました。

私たちの家は原発事故のあった町の隣町にあります。第一原発から10キロ圏内。
避難直後は警戒区域に指定されて立ち入りを禁じられ、自宅に行きたい場合は許可を得て立ち入っていました。その後放射線量の非常に高い帰還困難区域を除いた町内の区域(居住制限区域と指定解除準備区域)については、宿泊はできないものの朝の9時から午後3時までの立ち入りが許可なくできるようになりました。

最近は年に3、4回家族で自宅に帰って家の様子を見たり、掃除をしたり、先祖の墓へお参りをしています。
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進められる除染作業、放射線量がどれだけ下がるのか、さまざまな環境整備、放射能の廃棄物貯蔵問題、目の前の第二原発の存在、帰還への各家庭、個人ごとの条件、人生観、これからの残された人生のプラン、いろいろな負の選択肢と決断、時間が経つだけでは帰還できないさまざまな問題があります。

我々の帰還をどうするのかの政府の決定、最低あと2年は待つ時間が必要なようです。果たして2年で帰還できるような本当に安心安全な生活環境になるのか??? 決定されても不安や不信感があります。
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なぜそんなところに帰るのとか思われても自分の家があるのなら、仕事を終えて毎日帰宅するように帰りたいと思うのは当然です。それが自然です。福島の我々の地方にも人が住み、暮らしがあり、夢や希望があって、同じ綺麗な花が咲き鳥が鳴いています。
自分の家や楽しんでいた暮らしや人生プランを捨てる決断はまさに苦渋の決断だし、新たな場所へ移住する負担の補償も万全ではありません。そのぎりぎりの決断の瀬戸際はどこなのか・・・。
こんな心の中の渦やさざなみが避難者全員にあります。こんなことばかりを考えていては強く生きていけません。避難生活を乗り切れません。心穏やかにするときも持って日々バランスを取ろうと一生懸命にやっています。
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6月の最後の週末、今年の3月の彼岸以来の一時帰宅をしてきました。
高齢の年寄り二人も一緒なので暑くならないうちにということで7月上旬に日程を考えていたら、いつもお世話になっているいわきの宿(改築中なので今3部屋しかない。)がその日は埋まっていますということで、その前の週の土日にしたのでした。

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↓今回の一時帰宅の動画です。


6月27日土曜日、神奈川・横浜の朝はいかにも梅雨らしい霧雨が降っていました。
父母の体の調子もそんなに悪くなさそうで良かった。まずはひと安心。

首都の新しいシンボル東京スカイツリーの腰から上は雲の中。

横浜の霧雨も途中、東京、埼玉、千葉、茨城と雨は小止みに、でも福島はしっかり雨でした。午後1時に我が家に到着しました。庭は除染されていて綺麗になっていました。植え木は親戚の庭師の方が剪定をやってくれたので大暴れせずに済んでいます。

我が家でも雨が静かに降っていました。

無事カエルことができました。

帰還後園芸を楽しめるようにとぼろぼろのビニールハウスも除染作業で解体せずに残してあります。

地震で倒れた灯篭は緑の繁茂に埋もれていました。庭の植え込みの中は除染は愛好者の意思を尊重して割愛してもらったのかな・・。そのまま残された感じ。

一時帰宅するときはいつもお土産を持って最初に愛猫らくらくに会いに行きます。

部屋の中の大事な観葉植物は全滅しましたが、庭木は水を遣れない夏を生き残って元気にしています。

つるの修景バラも自然のままに育って花を沢山つけていました。

田の畦道の綺麗な花、ヤブカンゾウ。

田んぼや用水路は除染作業が終了しています。このままにしておくとまたセイタカアワダチソウやヤナギなどに侵略されるのでしょうか。
数年後にこの景色を見ながら過ごすことになるのかな・・。

もう終わりかけのアジサイが咲いていました。大きな株のアジサイ。花が終わるとスッキリ剪定してました。七色に変化してこの近くを訪れた人の心を慰めたことでしょう。

花弁に雫を乗せた綺麗なガクアジサイ。

震災前雄と雌の株を植えて実りを待っていたキューイ。沢山沢山実を付けていました。今は食べれないのが残念。でも自然に育っていてくれて嬉しい。

裏庭にびわがなってた。初めて発見!

父が育てている白い花のキョウチクトウ。主に見られていなくなくても元気に育っています。

イワナくんやヤマメちゃんの棲んでいた湧き水池の周囲も除染されていました。さすがに池の中の落ち葉や折れて落ちた太い木の幹は取り除かれていませんでした。もう魚たちの姿を見ることはできませんでした。

池の周囲に植えたギボウシ。大きくなっています。

畑はヒメジオンの群生が支配。

畑の土手が好きなシロツメクサ。

家から出た廃材は汚染物質処理用の黒いビニール袋の中に。

もうブレーカーを上げれば電気を使うことができるようになっています。
テレビを付けると条件反射的にほっこり気分になるけれど住めない家、寛げない居間、宿泊できない慌しい一時帰宅では違和感があります。

大工さんが入って家のほうの地震や雨漏りなどの被害の修復は終わっています。キッチンのテーブルを囲んで途中の常磐道のサービスエリアで買ったもので昼食をとりました。この一瞬だけ生活感が復活。

自分の部屋へ。

 今回は雨が降っていたし時間がなくカーテンも開かず、窓を開けて部屋の換気を行いませんでした。10分だけリクライニングチェアでゆったりしながらスマホをしました。何も持ち帰りませんでした。時間がないので今は部屋で横になったり、寝たりすることは諦めています。もう感覚的に自分の居場所という実感がありません。

階段を上げてお寺へ。

先祖の墓に参りました。向こうの山には東電第二原発の送電線の鉄塔が見えます。現在稼動を止めている第二原発は目と鼻の先。

苦労して竹を切って小鳥を見ることを楽しんでいた林(ほんの一部除染。)には太い竹が高く聳え始めました。ほおっておくと竹林になるのか?


自然に自生するミツバ。

神社の杉林の中のドクダミの群生。

お寺の境内に咲いてたキキョウ。帰郷・・なんシャレ考えたことなかった。

震災前に父が作ったカエルの盆栽。

一時帰宅が許されるのは0900~1500の間。ぎりぎりまで自宅にいてその後はいつもいわきの宿に移動、一泊します。山の中のせせらぎが目の前にある静かな宿。

自宅から直線距離で50キロくらい離れている宿。平和で静かです。

この宿に着いた頃にはすっかり晴れて上弦の月が出ていました。

いつも心温まるおもてなしに感謝します。温泉でサッパリしたあとのビールを楽しんで、美味しい食事を楽しんで・・・良い気分転換になりました。

川のカジカガエルの鳴声を聞きながら蛍を探しました。

蛍を見ることはできませんでしたが、夜風が気持ち良かったです。

いつか、また、福島へも足をお運びいただけたらうれしいです。

翌日はスッキリと青空が覗いていました。起きて朝風呂を楽しみました。

まだ鮎釣師は訪れていませんでした。風呂上りのお茶がうまい!

いつも美味しい朝ごはん。ご飯の御代わりがしたくなるけどがまん。

常磐道から青い空と白い雲が見ながらウクレレと歌の練習をしました。

横浜に帰って来たら愛猫のびのび(避難猫)が迎えに出てきました。お留守番ご苦労様でした。

家族がみんな戻って来たので安心したよね、のびのび。

無事一時帰宅を終えることができましたありがとうございました。乾杯!一緒にお昼ご飯を食べました。

故郷の常磐道のサービスエリアで買ったお土産♪ しばらく楽しめそう。

お疲れ様でした。
これで両親も心置きなく夏を過ごせるでしょう。
次の一時帰宅は秋かな。



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