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ふと「東日本大人災」という言葉が浮かび、頭の中を渦巻いた。
東日本大震災から1年7ヶ月が過ぎた。
もう多くの人の記憶の中では埋もれつつあるのかな。
今我々は東電の惹き起こした大人災により震災の翌日から警戒区域と呼ばれる場所から家を追われ避難生活を強いられている。福島第一原子力発電所の暴走事故だ。
人間がコントロール不能に陥って、いや重大な危機にコントロールする術を持っていなかったため福島はおろか東日本に広く、甚大な被害をもたらした。自然災害の影響や影響を受けた場合の対応措置のプランがハードもソフトも甘甘で実効性を持っていなかった。重大危機における事故を回避するためのプランがいい加減だった。原発事故はまさに「東日本大人災」だ。
そして過酷な事故が発生してしまったあとの避難プランも甘甘でずさんなものだった。迅速な情報もなく避難は個々の住民任せ。東電、国、自治体、県の連係プレーがなかった。全てが後手後手だ。
誰にどういう責任があるのか。どういう責めを負うのか・・・正義を名乗る犯人が自供するようなことはしないだろう。原発が3基も爆発、もう一つは自爆の瀬戸際にある。私は人の命よりも原発の命を守ろうとしたことがここまで事故を大きくした原因のかなりのキーポイントであると思っている。でもあのとき現場でどういうやりとりがあったのか肝心な部分は明かさない。卑怯者だ。
東日本大人災以後我々の置かれた状況は一向に変わらない。
地震に襲われ、人によっては津波に家を奪われたあげく・・・放射能の死の灰を浴びせられ人生をずたずたにされた。放置されたペット、動物、作物、植物・・・生死を彷徨い、そして多くが命を失った。
転々と場所を移動しながら過酷な避難生活を繰り返す中失われる大切な命。もう一度自分の家の庭の土を踏める可能性を信じて日々生きているが、悪化する未来予測に目を背けている。未来には見るべきもの、救われるものがないからだ。故郷の除染どころか賠償さえもきちんと進まない。家は震災で壊れたまま、風雨で朽ち崩壊し始めている。田畑には草が身の丈ほどに伸び木が生えてくる始末。許された一時帰宅で我が家を訪ねる人の心も。町は帰還は5年後だとしている。それもできるのかできないのかはっきりしたものではない。高齢者にとっては過酷の時間だ。それよりも肝心の放射線量がどうなっているかだ。
原発事故被害者でありながら他人事のように心が風化していく自分が怖い。
今冷静に自分が置かれている状況を見つめるのを避けたがっている被害者は多いと思う。絶望とあきらめ。希望の光が見えたとしてもほのかな光だ。希望ってなんだろ。
遠くまで連れて来られて強く生きるのびのび。事故後一ヶ月置き去りにされ一人警戒区域の家の中で耐えていた。
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