原発避難144~原発事故避難2年9月目の一時帰宅 ― 2013/12/16 23:08
新しい年を迎える前に今年最後の一時帰宅をして来ました。
6月、8月に続いて今年3回目の福島県の自宅への一時帰宅です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
夏場は早朝に家を出ましたが12月の朝は流石に寒いので、無理をせず8時過ぎに避難している神奈川の横浜を出発。その分福島の自宅での滞在時間は短くなる。お墓参りはしないことにしました。
快晴の空の下、首都高を抜け順調に常磐道を進みました。
筑波山を見て・・・・水戸を過ぎて日立のトンネル。
福島イン。
正午を回り、常磐道を下りる前に福島県いわき市の四倉PAで休憩とお昼ご飯を済ませておくことに。福島も青空でよかった。普通に寒い!
ここは事故のあった東電の福島第一原子力発電所から40キロくらいかな・・・
線量は神奈川の横浜とさほどかわらない0・2マイクロシーベルト以下の数値。
常磐道を下りると前の前には東電の火力発電所の排気塔が聳えている。
火力発電所は津波でやられましが、震災後2年目くらいに復旧し稼動しました。
比較的線量の低い隣町は今除染作業が進められてる。
国道の両脇の田畑に土や草木などの除染物質を入れた黒い袋が無数に並べられ、緑色のネットやシートが被せられていた。なんとJRの常磐線の線路脇にも並べられているではないか・・・!!
自宅へ近づくにつれて線量計の数値は0.3、0.5、0.7と上がっていく。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
午後1時過ぎに自宅へ到着。
驚いたことに従兄弟の方たちがお墓参りの後自宅に立ち寄ってくれていた。
久しぶりに対面することができました。
そして瓦屋さんと大工さんも来て家の修復の準備をしていました。
まずは震災の年2011年3月に亡くなった愛猫らくらくのお墓のある庭へ。
地震で倒壊した石灯篭。この付近の線量は2~3マイクロシーベルト。木の根元は高くなるようだ。
除染作業で庭の土が取り除かれたら今生きている大切な草花たちも死んでしまうのだろうか、ひとつひとつ大事に育てていたのに・・・・
その石灯篭の傍の梅の木の下にらくらくの墓がある。
ただいま。帰って来たよ。家を守っていてくれてありがとう。

あの3月11日の午前、愛猫らくらくはこの世に生きられない姿で見つかった。
何で生きて探して上げられなかったのかな・・・。
らくらくのお墓を作って埋葬していたら午後2時46分に大地震が起きた。
天地がゴーっと鳴り響く凄い揺れで、立っていられず梅の木に掴まって地面に膝を付いていなければならなかった。愛猫の怒りと悲しみが天地を揺らしたのだと思えた。
2度目の揺れで石灯籠が近くに倒れて来た。家の屋根瓦がガラガラと落ちて来た。目の前の東電の福島第二原発のほうから何かが崩落する音が聞え、何やら異臭が漂って来た。・・・・
原発事故が起きて我々と明日分かれること悟ってらくらくは姿を見せてくれたのかな・・・。
・・・
それがあの日のできごと。
家の中に入る。
自分の部屋はほとんど震災の日のまま。
テレビを見たり音楽を聴いたりウクレレを弾いたりした椅子には一時帰宅のときにゆっくり腰掛けたことは一度もない。何かを探しているとすぐ時間が経ってしまう。
変な話だけど自分の部屋だという感覚が薄れてきている。
時間が無く棚から落ちたものなど全然片付けられない。
何日も宿泊できないと無理だろう。片付けても余震で落ちてしまうかもしれないし。
この部屋は震災前に作ったばかりなのでネズミが入り込めないため、幸いにしてまだネズミに荒らされていない。ネズミが入ったら厄介だ。雨漏りもしていないのでまずは安心。
この部屋で育てていた熱帯植物は皆息絶えてしまった。モンステラ、ハイビスカス、プルメリア、オーガスタ、極楽鳥花、ブーゲンビリア・・・
こちらは母の寝室。
震災のあった年から雨漏りがしていて、既に震災後ひと月で天井から雨水が壁を伝って床に落ちて来ていた。たしかその年の夏には壁が崩れ床が腐っていた。隣の父の部屋の押入れも中は濡れてぐちゃぐちゃ・・・。
そして今はネズミに荒らされている。
ネズミの糞を掃いて集める。量は今年の夏ほどじゃない。
夏はゴマみたいに転がっていた。
ネズミは電気製品のコードも食いちぎる。ネズミみたいになってるじゃないか!
缶詰が沢山入った箱も食いちぎる。食べ物類は全て廃棄だ。
一時帰宅の度に掃除はしているけど収まりが付かない。
人がたまにしか帰ってこないからネズミの天国。いたちごっこになるに違いない。
玄関上の天井は雨漏りで崩壊している。
あと・・・浴室の脱衣所の天井とか廊下の天井とか何箇所かある。
大工さんや瓦屋さんに頼んで早く修繕しないと手遅れになる。
補償の対象になるんだろうか・・・。
今回は建物のガラスも割れていた。
イノブタに割られたとか言っていたが、風に何かが飛ばされて割れたか・・・
人かもしれない。
屋根から落ちた瓦。震災のときは凶器だった。
農業用のビニールハウス。
家が揺れて崩壊するのを恐れ、ここに震災の夜避難して一夜を明かそうとしたが・・・
寝てしばらくして屋内待機せよとの町内放送が流れた。
そのとき持ち込んだマットや座布団が残っている。毛布やシュラフは家の中に戻した。
人知れず菊が咲いていた。
冬越しにハウスに入れておいたランや柑橘系の鉢物や盆栽は全滅だ。
家の裏庭は落ちた瓦と枯葉の吹き溜まりになっている。こういう所は線量が高いく3~4マイクロシーベルトある。
我が町の除染作業はまだ行われていません。計画が餅の絵のように書かれてあるだけ。それも全く現実的なプランになっていない。来年度からやりますというだけ。
政府の考えていることはなんなんだろうか、なんでやらないんだろうか。
町の中でも線量の高さにはばらつきがある。地上10センチでは2マイクロシーベルトから25マイクロシーベルトまで。今春町の1/3が帰宅困難区域に指定された。1/3が居住制限区域、残る1/3が避難指示解除準備区域(我々のとこ)。
今帰還を希望する人はもう住民の1/5くらい・・・いや実際に帰れるのは人口の1/10の1000人くらいではないんだろうか。線量が高くて帰りたくても帰れないというのが真実。子供がいる家庭はなおさらだ。家の崩壊の危険とネズミの糞に悩まされる我が家はまだまだましなほうだ。
皆家を自力で避難し家を捨てる苦渋の決断を迫られた。それに3年かかっただけだ。復興など何も行われていない。
地震にやられ、津波にやられ、原発事故にやられ・・・なんだもない。
テレビの原発事故の報道を見て「もう20年も30年も帰れなくなるよ。」て避難所である住民の方が言っていた。その時まさかそこまで!とは思っていたが残念ながら本当になりそうだ。
町で捨てる場所も決まっていないから家の中に保管するしかないゴミ。
セイダカアワダチソウが2,3メートルの高さで田んぼ一杯に蔓延っている。
柳の木も生い茂っている。
家の横のこの田んぼも除染した核のゴミを詰めた黒い袋で敷き詰められるのだろう、きっと。
あー恐ろしい。そしてそれがいつ適切な場所に運ばれるのか・・・まったくノープランだ。
しかも福1の原発事故の収束作業がまた危険をはらんでいる。
もし帰還が叶っても心は休まらないはず。
人間が管理しなくなった土地は野生にすぐ戻ってしまう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
滞在時間が2時間になろうとしていた。
自宅に泊まれない・・・
自宅にサヨナラをする時間が刻一刻と迫って来た。
3時までに警戒区域を出なければならない。
部屋を一つずつ閉めてカーテンをする。
お客様用の部屋。ここからのどかな田んぼや庭を眺めてもらった。
そして今でもお空恐ろしい東電の原発の排気塔が聳えて見えている。
今回持ち出そうと思ったのはウクレレ練習用のDVDと登山用のストック。
サラリーマン時代のように東京の高尾山やほかの山を歩くんだ。
最後に自宅周辺を確認して回る。
5年前の退職記念に買ったりんごの木、ふじ。
その傍らには先代の愛猫のびのびが眠っている。手を合わせた。
育てていた葡萄の木。
園芸の心のない兄に草刈機で途中から切られてしまった。
退職記念に植えた白樺。幹が太くなっていた。
温暖な福島の沿岸部でも白樺が育つということがわかった。
山茶花の垣根には花が咲いていた。手入れしてたんだ。
我が家を除染するときできれば庭の樹木や草花を残して欲しい。
愛猫と同じように可愛がっていたし、心のよりどころだから。
もう時間だ。屋根の向こうに柚子が沢山実っていた。
車が家を出る。
池が目に入る。
育てているイワナ君に挨拶していないことを思い出した。
以前のように姿を見せてくれなかった。葉っぱが山と沈んで棲家が大変なことに・・・。
元気でいるだろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
車は警戒区域を去って、一路宿泊先のいわき市の遠野へ。
無理をすれば日帰りで神奈川まで帰れるけど無理はしない。
慰労の意味合いもあって途中で宿をとることにしている。
とあるこじんまりした温泉宿。
ここへお世話になってしばらくになる。
気さくな女将さんと温泉と料理が大好き。
宿の前を鮎釣りのできる渓流が流れている。
遠野だから河童もいます。
除染で汚れた身体を綺麗にしないと・・・ひとっ風呂浴びて。
安着のカンパイ! お疲れ様でした。ありがとうございました♪
ぷっはー♪ う・ま・い。
ワインを頂いて。
夕食の時間。
なんと凄い部屋。鎧兜が飾ってある。ここの宿の主人は只者じゃない!
一時帰宅ご苦労様でした。
一年間お疲れ様でした!
美味しそうな食事とお酒。
女将さんが特注してくれたあんこう鍋♪
双子座流星群の流れ星を2つ見れた朝、雪が舞いました。
相当冷え込んだんだ。
朝風呂を頂いて、素敵な朝食を頂きました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
宿を出てまっすぐ関東へ。
繁栄のシンボル、東京スカイツリーが待っていた。
光と影だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
12時前に神奈川へ無事帰宅。
愛猫のびのびが妹の息子さんとお利口さんして待っていてくれた。
のびのびも原発事故避難猫。一緒に福島の自宅から脱出して来た。
のびちゃんの食べれるお土産がなくて・・・ご免。
お昼ごはんは皆で反省会。お疲れ様。
行って来てスッキリしたね。
のびのびも一緒にご飯。
疲れたねねむねむ。
一時帰宅は無事終了しました。
皆様ありがとうございました。
お疲れ様でした。
こんな一時帰宅を原発事故で避難を余儀なくされた何万世帯の家族、10何万人の人々と関係する何十万人もの兄妹や友人・知人が同じような思いをしている。
線量が高くて一生帰宅することが不可能になった方々が何万人もいらっしゃる。
自宅や故郷を捨てる苦渋の決断を迫られている。
避難の途中で帰還が叶わず命を落とした方々が何千人もいる。
我々の故郷は核のゴミの中間貯蔵施設に仕立て上げられそうになっている。
住民が帰還を諦めて、断念させられた後に土地を買い上げてその先の最終処分場を睨んでのことだろう・・・。そんなストーリーしか思い浮かべることができない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
東電と国は国策で福島に原発を作って電力を東京に供給した。
福島の住民は原発建設に反対しても押し切られた。
原発建設や稼動に労働力を提供した。
そして東京はその電気を使って繁栄した。
今報道されないから福島のことはどうなっているのか分からないという声をよく耳にするようになった。あれだけ連日放射線量のことや放射能の影響のことを報道してたのに。
現在進行形のこの大事故が、教訓が風化しているようだ。
オリンピックの招致を決めた東京からたかだか250キロ(車や電車で3時間でアクセスでる場所)しか離れていない場所で起きていることなのに。遠い外国で起きているのだと錯覚しているのではないのだろうか。
当事者と非当事者は落差があって当然だというのだろうか。生きている原発があと50機あり、地震や津波にいつ襲われるかわからない日本では明日はわが身、自分のことなのに。
だから日本は肝心な方向へ動けないのだと思う。
教訓や被害者、反対者の声や感情を無視して新しい政権は景気回復と安定のために原発稼動に舵を切った。東京や日本の繁栄のためには片田舎の多少の犠牲者は仕方ないと言わんばかりだ。だから福島に原発を作ったんだと。
そしてオリンピック開催の祝賀ムードに水を差すなと言われる。
何がお・も・て・な・し だ、頭の中は残念と怒りでいっぱいだ。
このひ・と・で・な・し。大切なのはお・も・い・や・り だろってか。
原発が必要で安全と言うなら新たな原発は東京に作るべきだし、福島の事故で我々のオアシスの庭にばら撒いた核のゴミはかき集めて東京湾の夢の島にでも埋めて欲しい。
原発事故での一番の被害者は我々であり、核のゴミで汚れて再生できない場所だからゴミ置き場にしてしまえというのはもってのほか、経済優先主義のエゴと傲慢でしかない。
二度と原発稼動はして欲しくない。
少なくとも
もう福島の残る原発の再稼動は絶対やめて欲しい。
我が家の目の前が原発だから。
いつ我々に自分の庭の草花を眺めたり、星を見たり、鳥の声を聞ける日が来るんだろうか・・・・。
(一時帰宅の動画です。)
http://www.youtube.com/watch?v=378Rnyk9cLw&feature=c4-overview&list=UU1-M0uN8ROaIEoJP3JJscow
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
軽く書こうと思ったけど重たくなっちゃな。
でも自分の記録だから。
あったことをを書いておくしかない。
身近な人には少しでも知って欲しい、自分の命を守るために。
コメント
_ あこ ― 2013/12/30 08:56
_ hamanobi ― 2013/12/30 18:02
こんにちは。
そうですね・・・故郷を失うというのは、結局色んな決意というか心の整理が必要になりますね。
気兼ねなくいつでも帰れる場所、自分の原点や自分のアイデンテティを失うわけですから。
愛していた花は目の前になく、それを超えた心の拠り所がレベルを引き上げる形で必要になりますね。
家族との心の結びつきとか究極自分の心だけとか・・。
若い人もお年よりも故郷を失って皆喪失感があると思います。それを埋める何かを見つけないと寂しいですね。
自分の心も暮らしてた日々や野や山、川を彷徨っています。
とにかく新しい年も皆が何か楽しみを見つけて健康に毎日を過ごせますようにと願っています。がんばりましょう。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://hamanobi.asablo.jp/blog/2013/12/16/7111367/tb















































みんな故郷に向かって帰省の時期はつらいですね。
うちの娘、一人暮らしで初めての年末ですが帰省しません。アパートのあるいわきは故郷ではないと。
故郷に帰省できないのはかわいそうですね。故郷を失うのって、経験してみないとわからないことですよね。