原発避難28~心の支え2011/06/18 08:09


原発避難指示(最初は避難命令だと思っていた。)を受けて最初の避難所に入ったとき寒さや泣き声、いびき、足音で眠れない夜中に音楽を聴いたことがある。
大震災の日は朝からずっと小さな音楽プレーヤーを首に下げていたのだ。そのまま首にして避難してきた。

最初は音楽なんてとても聴く気になれなかった。頭の中をいろんなものが渦巻いていたから。
3月に入ってから戻ってこなかった愛猫らくらくの発見、死。同じ日に狂ったような大地震。家の一部損壊。津波の恐れ。強い余震。原発関係での屋内待機命令。避難指示。着の身着のままでの移動。大渋滞。給油。避難所での場所取り。炊き出しのおにぎり、水、毛布、ダンボールの確保。通信手段の不通。原発の連鎖的な爆発。原子炉をコントロールできないいらだち。避難住民のパニック、迫られる決断。県・町首長への不信。二度と帰れないかもしれない不安。残してきた愛猫のびのびのこと。明日はどうすりゃいいのかわからない・・・・・・・・。

消灯された小学校の広い体育館の闇や教室で聴いたのはハワイアンウクレレ。2曲だけ。ウイスキーを2ショット飲むように。頬をなでるようにウクレレの弦が響いた。それで十分だった。それがいっぱいだった。
身を寄せ合うように何百人もの町民が眠る体育館や教室が別世界に変わった。どちらが正常な世界なのかわからない。突きつけられた現実と空想の世界。地獄と天国。
覚えたてのウクレレの曲弾きたいな。いつになるんだろう。ウクレレがここにあったとしても奏でることはできない。こそっとイヤホンで聴くのが精一杯だ。バッテリーもなくなるし。大切に聴かないと。

今奇跡的に愛猫のびのびとウクレレと一緒に過ごすことができている。床には畳と絨毯が引かれている。布団と毛布、枕付きで家族だけで眠ることができる。しばらくは逃げなくてもよさそうだ。
つたない指の動きで弦を押さえ弾く。音のハーモニーで眠くなる。
土手散歩をワイキキやノースショアの散歩に変える。

音楽はオアシスだ。音は水。
猫は生きているオアシス。
いつも寄り添って生きるを助けてくれる。支えてくれる。

そしてもう一つ大切なもの。
それは渓流。
渓流での釣り。フライフィッシング。
フライフィッシングではある意味いろんな思い、記憶を流すために流れの中に立っている。自然の流れが心をリセットしてくれる。
ヤマメやイワナも綺麗でとても魅力的だ。
渓流は自分の生き方でとても重要なんだ。

最初の避難所の小学校の敷地に沿って渓流が流れていた。
避難生活が終わって故郷に帰れたら隣村のこの川に釣りに来よう!そう思った。
4月になったら、解禁になったら・・・間もなくだ。
今日で大震災から100日、避難生活99日を数えてしまった。

いまはそれが叶うのか叶わないのかわからない。


故郷福島でやっていたことと同じことを
ここにいても
いつか福島に帰っても
やる
ただそれだけ。